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漫画「 ホーリーランド 」の作者・森恒二さんの、漫画みたいなドラマチック人生が超絶エモい。

以前、このサイトに掲載した、“現在放送中のアニメ「セスタス」の作者、技来静也さん。同級生とのエピソードが超絶エモい。”の中で

「ホーリーランド」の作者、森恒二さんには人気漫画家になるまでに一言では言い表せられないような紆余曲折の人生があり、それはまた別の機会に”、とお伝えしていたと思います。

今回は早速、そのお伝えしきれなかった森さんの紆余曲折の人生について書いていきたいと思います。

その劇的であり衝撃的、まるで漫画のようなドラマチック人生に驚かれることと思います。

親友、三浦健太郎さんとの出会い

まず、森さんの人生を語るにあたり欠かせないのが、「ベルセルク」の作者である三浦健太郎さんの存在です。

“中世ヨーロッパを下地にした「剣と魔法の世界」を舞台に、身の丈を超える巨大な剣を携えた剣士ガッツの復讐の旅を描いたダーク・ファンタジー。単行本は国内だけでなく、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリアなど各国でも人気を得ており、累計発行部数は4000万部を超える”

二人は高校時代の同級生であり親友。

もし、三浦さんと出会っていなければ、森さんは漫画家になっていなかったのではないかというくらい、その人生に大きな影響を与えた超重要人物なのです。

2人が仲良くなったキッカケは漫画でした。

高校に入ったばかりの頃、生徒手帳にザクを描いていた三浦さんを見つけ、興味を持ち話しかけたのが森さんでした。

お互い漫画好きだということが分かるとすぐに友達になり、次第に一緒に漫画を描くようになっていきます

高校時代、森さんは三浦さんの家に居候し、一緒に漫画を描いていた

二人は本当に仲が良く、森さんは三浦さんの家に居候していた時期があったほど。

朝起きたら一緒に学校へ行き、家に帰ってきたら一緒に漫画を描く。そんな漫画漬けの生活を送っていました。

“森さんは三浦さんの家に居候していた”と、さらっと書きましたが、これってちょっと変わっていますよね?

その際、ご両親は心配しなかったのか?とか、気になりませんか? 実はそれには、ちょっと複雑な理由があったのです。

親との関係が悪くなり、下北沢でヤンキー相手にケンカに明け暮れる日々

漫画家になりたいという夢を持っていた森さんでしたが、彼のご両親はそれについて良く思っていませんでした。

というのも、森さんは小学生の時に、全国大会で優勝するような野球の強豪チームに所属しており、ご両親はそんな森さんに野球を続けて欲しいという気持ちがあったそうなんです。

そのことが原因で関係が悪くなってしまい、しばらくの間、三浦さんの家にお世話になるということになったのです。

しかし、森さんも、いつまでも三浦さんの家に厄介になるわけにはいかない。

でも家には帰りたくない。

森さんは次第に下北沢でフラフラするようになり、街のヤンキー相手にケンカに明け暮れるようになっていくのです。

街でケンカに明け暮れるようになった森さんですが、漫画を止めたわけではありませんでした。ケンカもするけど漫画も描く。

ケンカと漫画の両立という、ひねくれた形の文武両道を続けていったのです。

三浦さんと一緒に同じ大学に進学。しかし、森さんにスランプが・・・

そんな森さんでしたが、無事に高校を卒業。

卒業後は、三浦さんと共に日本大学藝術学部美術学科に入学します。

入学後、三浦さんはすぐに商業誌で漫画家デビューを果たしますが、一方森さんは20歳くらいの頃に小さな漫画賞を受賞しただけ。

雑誌掲載までにはいかないという先の見えない足踏み状態に陥ってしまいました。

またそんな時期に、森さんはある編集者にこんなことを言われてしまいます。

「ストーリーは編集に任せて絵だけ描いてくれればいい」。

森さんはその言葉に深く傷つき、それ以降、漫画を描けなくなってしまうのです。

漫画が描けなくなり、荒れた生活を送るようになる

それから森さんは、荒れた生活を送るようになっていきます。

六本木などの繁華街で遊びほうけたり、くだらないことで人を殴ったりと、最悪の状態です。

そんな時、耳に入ってきたのが、親友、三浦さんのビッグニュース。

「北斗の拳」の原作者である武論尊先生の原作で、白泉社の雑誌に漫画を描くことになったという知らせでした。

これを聞いた森さんは、複雑な気持ちになってしまいます。

“タイムスリップでジンギス・カンの統治する13世紀に飛ばされた歴史学者が、現代へ戻るために闘い続ける。源義経=ジンギス・カン説を取り入れた歴史バトル漫画。”

参考:マンガペディア

三浦さんが売れるキッカケを作ったのは森さんだった

実はこのちょっと前まで、三浦さんは森さんと同じようになかなかうまくいかない状態にありました。

「三浦くんであれば、SFのようなものを描かせてくれるマイナーなところに行けばあっという間に売れるだろう」

そう思っていた森さんは、「白泉社に行きなさい」とアドバイスをしていたのです。

それが今回の「王狼」、そして「ベルセルク※」の連載へと繋がっていったというわけなんですね。

※ベルセルクは、白泉社『ヤングアニマル』の前身である『月刊アニマルハウス』にて連載をスタートしている。

漫画になるという夢を諦め、デザイナーとして働き始める

自分がアドバイスしたことだったんですが、それにより二人の間に大きな差が出来てしまったように感じた森さんは、三浦さんの連載獲得に素直に喜ぶことができませんでした。

そして、それをキッカケに、森さんは漫画を描くことを辞めてしまうのです

漫画家になる夢を諦めた森さんは、大学卒業後、デザイナーとして広告イラストやCMの絵コンテ製作など仕事に携わっていきます。

しかし、新たな道を歩みだし数年が経った25歳の時、思いがけない事件が森さんを襲います

死を覚悟したバイク事故。そのとき頭に浮かんだのは・・・

それは鈴鹿サーキットで行われたF1の取材の帰り道のこと

バイクに乗っていた森さんはトラックに激突。転がったところを後続車に跳ねられるという大事故に遭ってしまうのです。

左側の肋骨が全部折れ肺に突き刺さるという大怪我。

搬送された病院では、お医者さんと救急隊の「だめですね」という声が聞こえ、「これで俺は死ぬんだ」と死を覚悟したそうです。

そんな死に直面した状況で、森さんの頭に真っ先に浮かんだのは

「今頃、三浦くんは漫画を描いているんだろうな」

「俺も意地を張らないで書いておけばよかった」

という後悔の気持ちでした。

そして、「もし奇跡的に助かったらもう一度漫画に挑戦しよう」。そう決意したそうです。

28歳にして漫画家への道を再び歩み出すことに

その後、森さんは奇跡的に命を取り留め、体の方も順調に回復していきます。

そして、本当にやりたいのは漫画を描くこと。

それに気づいた森さんは広告の仕事を辞め、28歳の時に漫画家への道を再び歩み出すのです。

それからは苦労の連続。何を描いてもうまくいきませんでした。読み切りの機会を得ても人気は出ず。極貧生活の果てにお金も底をつきて、96キロあった体重が70キロにまで減ってしまったといいます。

「ホーリーランド」連載開始

そして、森さんが34歳になったとき、ついに夢が叶います。

青年漫画雑誌「ヤングアニマル」にて、デビュー作「ホーリーランド」の連載が決まったのです。

“学校にも家庭にも身の置き所がなく、自分の存在が確認できない高校生・神代ユウ。ボクシングのワン・ツーを覚えた彼は“ヤンキー狩り”をするハメになり、夜の街の戦いに巻き込まれていくが…!?”

amazon “商品の説明”より

「ホーリーランド」誕生の陰には三浦さんがいた

その後、人気作となりドラマ化もする「ホーリーランド」ですが、その誕生に大きく関わっていたのが三浦さんでした。

「ホーリーランド」の構想は、学生時代、森さんが下北沢でケンカに明け暮れていた頃の経験からきたもの。

「その時の話を漫画にしたらいいんじゃない?」そうアドバイスをしたのが三浦さんだったのです。

「ベルセルク」誕生の陰には森さんがいて、

「ホーリーランド」誕生の陰には三浦さんがいました。

友情が生んだ名作とでもいうのでしょうか。

2人が高校時代に出会っていなければ、この二作品生まれていなかったかもしれません。

また、森さんは、テレビ神奈川の「まんとら」という番組に出演した際にこんなことを言っていたそうです。

三浦くんとかと一緒にいたおかげで、自分の事とかもわりと分かってきたんですよね。

三浦くんはわりと想像が得意で、現実にリンクすることが苦手なんですよ。

で、僕はわりと、現実にリンクしたことが得意なんですよね。

“人を見て、こんな人だ” とか、“こんな事が現実にあったからこんな事を描こうかな?” とか・・・

そういうのが得意で。

やっぱ(人によって)素養が違うんだってことが、三浦くんと一緒に漫画描いてて分かったんですね。

だから、今漫画描いている若い人達は、『漫画描いてる友達』はやっぱ居たほうがいいと思いますね。凄く良い・・・」

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