「開会式の種目紹介のブロックあるじゃん?あれ、 ピクトグラム をモチーフに人で表現出来ないかな?」
「…はっ?ピクトグラムをモチーフ?どういう事?」
そんな本番前のやりとりが頭に浮かんだ。
https://www.youtube.com/watch?v=Y-q7URCY7vY

開会式で開催されたピクトグラムによる競技紹介
あの映像、シンプルで日本的でレガシーも感じられて最高に面白かったですね。何度も見たくなりますし、手触り感と安心感、そしてピクトグラムなのに人間味があって良かったです。
あのシーンが終わった後、Twitter上ではすぐに
『ピクトグラム隊、お疲れ様でした』とイラストをUPする人が現れました。
このイラストを見て思い出したのは、庵野秀明が言っていた
『面白いアニメは二次創作が作られる』という言葉です。
確かにその通りだと思いますし、それはアニメだけに限らない事なんだなぁと実感しました。
で、ふと疑問が沸きました。
『この企画、どうやって会議を通したの?』
ピクトグラムの企画はショーディレクター 小林賢太郎
ピクトグラムは開会式の統括的なショーディレクター、小林賢太郎の手腕である事はもはや周知の事実。
その理由は
・小林賢太郎の一人舞台『Potsunen』でもハンドマイムを披露していた。
・ラーメンズの舞台にピクトグラムが登場していた。
など証明は多々あれど、何よりも確信が持てたのは『小林賢太郎の世界だった』という一言に尽きるだろう。
ファンであれば一眼で分かる。あれは誰にも真似が出来ない。
そんな小林賢太郎がショーディレクターとしてこの企画を作るに至る経緯には、謎が満ちていると感じる。
言うまでもなくこのショーは、本人の単独ライブでは無い。日本のレガシーや思いを世界に向けて発信する、文字通り日本を背負ったショーなのだ。
そんな会でこのピクトグラムのイメージが頭の中に浮かんでも、実際に見ないと
『誰もイメージが共有出来ない』のだ。
実際に、このアイデアを出す想像をしてみよう。
「開会式の種目紹介のブロックあるじゃん?あれ、ピクトグラムをモチーフに人で表現出来ないかな?」
「…はっ?人をモチーフ?どういう事?」
「いやだから、ピクトグラムって1964年大会で日本が作ったレガシーでしょ。それをモチーフにして、実写でやれない?」
「実写?」
「うん、実写で」
「何を言ってるの?ピクトグラムが人をモチーフにしているんだから、人がやったら『うんそうだね』で終わっちゃうよ」
「う〜ん、なんか、曲に合わせてテンポ良く競技を紹介出来るんじゃない?」
「どんな風に?」
「青い全身タイツで顔を隠したダンサーが、ズンズンチャン!みたいな簡易なリズムでピクトグラムと同じポーズを取るんだ」
「…同じポーズを取るだけ?」
「うん50種」
「50種!?いやなんか、特別な映像とかに合わせて?」
「いや、舞台上で背景無しで」
「背景無しで!?」
「変かな?」
「変っていうか…地味すぎない?とにかく明るい安村みたいな事だよね?」
「服は着るよ」
「当然だよ!」
「それとはちょっと違うけど、まぁ近い様な感じ」
「誰が出るの?」
「が〜まるちょばとかパントマイマーとか」
「いや他のブロックは1824台のドローン使って空中にロゴや地球を作ったり、森山未來がダンサーとしてパフォーマンスをしたり、市川海老蔵が日本の歌舞伎を披露したりするんだぞ?レガシーを感じられるとか、最新技術を使って日本の発展をアピール出来るとかが無いとダメでしょ」
「いや絶対良いと思うんだけどなぁ〜」
「どんな感じか1つやってみてよ」
「ズンズンダン、ズンズンダン、パーン!でポーズ」
「おいふざけんな」
となるイメージしかわかない。
これを台本や紙資料で提案しても、賛同してくれる想像力の引き出しを持つ人など日本中、世界中で誰もいないだろう。
そんな誰も想像が出来ない事をやって『良い!』となる事なんて本来は滅多にないのだ。
おそらく、小林賢太郎は五輪委員会の会議前で全貌は見せず、誰にもバレない様にデモ映像を作り、ギリギリまでプレゼンを隠していたんじゃないだろうか。
しっかり映像を見たら、あの疾走感の心地良さと人間味が伝わって評価されるだろうと。
周りの反対を想定しつつ、自分のイメージを信じて突き進む事が成功の鍵を握るのかもしれない。
例えば、庵野秀明も同じかもしれません。